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男の子は大切ではない
とあるブログで「男性が思春期に直面する『男の子は大切ではない』というメッセージ」というようなものを読んだ。
これを読んだとき衝撃的だった。
『男の子は呼び捨てで、言葉も汚い。女の子には「さん」付けで言葉も丁寧』
『男の子には少し汚れたおもちゃでも良くて、女の子にはきれいな方を渡す』
『男の子は小さなことに拘らない』
『男の子は泣くな。女の子はちゃんと怪我の手当てをしてもらえる』
と言ったような事を書き連ねて、女の子は大切で『男の子は大切ではない』というメッセージを発してる。
とまとめていた。
なるほどーと思った。
私は女なので、それには気が付かなかった。
が、同時に私の中の女の子は
『女の子は要らない』というメッセージを受け取っていた。
男性が思春期で『男の子が大切ではない』というメッセージを受け取るのならば
私は幼少期に『女の子は要らない』というメッセージを受け取った。
理由は一つ
『女の子は家を継がない』からだ。
男の子でよかったね
私には妹や弟がいる。
弟が生まれた時、『男の子でよかったね』と言われた。『お母さん頑張ったね』と。
弟は末子長男だ。
未だに末子長男の弟の話をすると『お母さん頑張ったね』という人達もいる。
……それは、女では役に立たないからだ。男が家を継ぎ、男が役に立つことを知ってる人達が口にする言葉だ。
だけど、彼らに悪意はない。
悪意が無い故に、傷つく。私は何なのかと。同じ親の元に生まれたはずなのに、女では残念で、男ならばよかったと言われる。
母は私の時も妹の時も弟の時も同じように頑張ったはずだ。
なのに、『お母さん頑張ったね』は弟にだけ向けられる。
そんなのは弟が生まれた30年近くも前の話……だと思っていたら
つい数年前にも『男の子を産まないとだめじゃないか』と言ってるお爺さんを見た。
言われた相手は娘ばかりが数人いる親だった。
ため息が出た。
今の時代、遺産は平等に分けられる。
家を継ぐといえるほどの家業をしてるわけでもない。
それでも、『娘』では残念で、『息子』ならばよかったと思ってる人間がいるのだ。
言われた相手の「今の時代、そんなことはないですから……」の言葉も耳に入れずに
お爺さんは「男の子じゃないといかん」みたいな話をしていた。
男性も身軽なこの時代。
あれほど『(家を継いでくれる)男の子でよかったね』と言われた弟は、
県外に就職して県外で家庭を持ち、家を持った。
わずか5つそこそこの子供の私にとって、『弟が生まれてよかったね』は
『自分(女の子であること)が否定』されたに等しい感覚だった。
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話すことについて
話すことが苦手で保育園の時はほとんど話さなかった。
家では話していたと思うのだが、あまり記憶がない。
妹達とは普通に話していたし、父方の従姉妹たちとも普通に話していた。
けれど、保育園でだけは誰とも話ができなかった。
そんな子は私だけではなかった。
当時、私の他にももう一人話さない子がいて、自分を異常だと思った事はなかった。
小学校に入ると従姉妹を通して話せる人が増えたが、中学に入るとまた徐々に元に戻った。
それに名前があると知ったのは成人前だった。
ネットの中に【その言葉】はあったが、当時は個人のホームページ一つしか検索出てて来なかった。
それから10年以上たって、その言葉は検索すればたくさんのページが出てくるようになった。
同時に【その言葉】への違和感も強くなった。
私は『無言』なのである。
無言の私
話さないとはそういう事なのだと思っている。
話さない私が何を思っていたかはまた別場所で書くことにする。
ここでは【その言葉】について思う事を書いていこうと思う。