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『幸せは自分が決める』
という言葉が好きだ。
ただ、それって『いつでも幸せだ』と言い続けることではないとも思う。
『他人の幸不幸を決めることはできない』という事だ。
私が「不幸せだーーー」と叫んでいたら、きっと周囲は「不幸せな人なのだろう」と思う。
けど、次の瞬間には「チーズケーキ美味しい」と喜んでいるかもしれない。
それを見た周囲は「幸せな人」と思うのかもしれない。
不幸せだと思った時に「不幸せだーー」と、叫べる幸せというのもあると思う。
不幸せでも「幸せ」と言えるのもまた、幸せなのかもしれない。
何が『幸せ』かなんて決めるのは至難の業なのだと思う。
応援される幸せと応援されない幸せ
何でこんな事を書いているかと言うと、
『卑屈で、苦労話ばかりするAさんと、謙虚で、前向きな話をするBさん。
Aさんにどれだけ「そうなるだけの理由」があっても、人がつい応援したくなるのは、Bさんの方』
と、いうのを見かけたからだ。
正直、今の私はAさんだ。
卑屈でイライラして、トゲトゲの言葉を書き殴っている。
別に応援してほしいとか、共感してほしいなんて思っていない。
ただ、自分の中で今が『卑屈でイライラして、トゲトゲしている』時期なのだ。
上記の文章の前には『そんな不幸話を見ている若者たちは暗い気分になるだろう』と、言った読み手の事を考えた記事になっていた。
たしかに、ネットに公開する限りは『読み手』を考えた方がいいのかもしれない。
読み手は読み手で自分で勝手にもっと『幸せになれる記事』を探したらいい。
それだけのことだと思う。
書き手は書き手で、好きに『イライラトゲトゲ発散』したい。
そして、『書きすぎたな』という記事はひっそり削除する。
書いたら消す。
消したら書く。
何も変わらずに残る事はないから、今書ける事を書く。
それが、私の幸せ。
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普通の人は料理がおいしいと感じるらしい。
私はイマイチそれが判らない。
料理を作る事は大変だ。
だから、作ってくれたことには感謝をする。
けれど、美味しいが分からない。
判らないので、「これ美味しんだよー」と言われるものを、美味しいのだと思う事にしている。
嫌いな味ならたくさんあるけれど、「これ美味しいんだよー」の美味しいが分からない。
母は料理が好きではない。
それでも、作ってくれたことには感謝をしている。
けれど、好きではない事をしているので、味に関しては……無頓着である。
下手をしたら、「腐ってるように見えないからいいだろう」でお弁当に怪しいものが入る事もある。
うっかり食べると、お腹を壊す。
私にとって食事は『痛んでいない(お腹を壊さない)ものを食べる』意外の意味がない。
食べる事が義務だから食べるのだ。
食べなくて済む体ならば、そっちの方がいい。
一人暮らしの時は『死なない程度』を目指して食べていた。
体力は落ちて、肉も落ちたが、死にはしないのでそれでよかった。
健康診断では引っかかって、『この(栄養)状態だと子供を産めない』などと言われたが、産む予定が無いので別にどうでもよかった。
きっと男だったら言われない言葉だったろう。
今、家に居て食事をするたび思う。
私は何を食べているのか。
母は常にイライラして、「食べろ」という。
それをみて、私は「苛立ちや憎しみを食べている」のだと思った。
料理嫌いな母の作った苛立ちや憎しみを食べて、私は生きている。
作ら無くていい。食べない。と言えば、「何で?死にたいの?」と変な方向に話がいく。
人間、最小限の食べ物で生きていける。
三食も食べるのは過食だと思うのだが、母にその感覚はない。
説明もめんどくさいので、今日も私は
憎しみを食べて生きている。
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ラノベ表紙が過激だと話題になってるらしい。
私はこれを「実際に書店に行かずに批判してるバカばかりだ」という意見のブログ記事で知った。
なので、ちょっと調べてみた。
元ネタ(?)はツイッターの発言のようだ。
https://twitter.com/chounamoul/status/1038423907697446912
「書店で娘が心底嫌そうな顔で「お父さん、これ気持ち悪い…」と指さした光景」
と書かれていて、本が平置きされている写真が載っていた。
元ネタの人は書店に行って娘からそう言われたらしい。
ついでにこの話題は「じゃぁ。女性のランジェリーショップはどうなんだ!!」という方向へも伸びてるらしい。
女性のランジェリーショップは下着が必要な人が来るものです。
元ネタは別に「下着批判」しているわけではないと思うので、全く違った世界が見えてるんだろうなと思った。
ちょっと話を戻して、私が読んだ「書店に行かずに批判してる」というブログに対して思うのは……。
都会の人は「書店が軒並み潰れている地方」が見えないのかなと思った。
ただ、この批判もまた何とも言えない的外れで「書店で目にしなければいいんだろ!!」と言った暴論に見える。
ネットでも見えるのは表紙じゃないのかな。タイトルだけ見て本買うの?と思ってしまう。
中には「昔の方が酷かった」という例を挙げてる人達もいたけれど、昔の書店の平積み写真を上げて比べてほしいと思う。
そしたら、「昔の方が酷かった」と納得してみたいと思う。
ただしこれもまた、問題とはかけ離れているような気がする。
昔の方が酷かったではなくて、『未だに状況が改善されていない』ことが問題なのだと思うから。
ついでに、「アクセル・ワールド」も話題になってるらしいが……私、アニメしか見てないですが最初は「エロい話」だと思ってました。
だから、見るのやめようかなーとすら思っててダメ元で見てみたら「エロではない!!」と驚愕した。何故にあんなにエロい絵なのか謎と思った。
そして本を見て……ああ。これは買いたくないタイプの本だなと思った。
エロ要素は必要ないのに、エロ要素満載の絵って……手に取りにくいし、買いずらい。
(そーいえば、CLAMPさんのXも……手に取りにくかったなー。ちょっとエロい絵が描いてあった巻があったのを思い出した)
……「こんなのはエロではない!!」という人達の殆どは「エロ絵に毒されている」のかなと思う。
あのね。おじさんたち、子供はそんなにエロ本に慣れてないんだよ。
エロ本に慣れろ!!と言うのなら、問題になってるライトノベル表紙を教科書の表紙にでもしたらいいんだよ。
そしたら、誰も文句言わないし、言えない。
みんなそれが当たり前の感覚になるだろうから。「気持ち悪い。おかしい」という少数派は削除されて行くと思う。
『個人の感覚だ』という言葉もそのままブーメランで批判してる人達に、返ってくると思う。
「ライトノベルの表紙はエロくない。過剰反応だ」というのなら、「お前が慣れすぎて、感覚が狂ってるんだ」としか言えない。
感情論のぶつけ合いである。
個人的には「パンツが見えてない」から「エロではない」は……違うと思う。
エロに毒されてる人間には「パンツが見えるからエロ」という価値基準があるんだなという理解はできる。
エロに毒されてない子供の視点は違う。
問題は『子供が見た時にどう思うか』である。
ツイッターにも書いてあったが「胸が強調された女性が性的消費されている気持ち悪さ」を感じるのだ。
:書店を見ろ!そんなエロイ表紙の本はない→実際にあったという話。
:数点だけを問題にするな。全体としたら問題はない→その数点が問題。
:女性の下着のお店はどうなる→女性に必要だからあるだけ。
:胸を強調して恥ずかしそうにしているのがいけないだけ(ツイッターの元ネタに乗ってる写真)。→他にもいろいろある。
:性的消費は仕方ない→子供に見せるものではない。
:BLは?→恐らく同じだが、問題は『子供の目を避けることが出来るか?』だと思う。
極端な話、『子供に見せない』『見たくない人は見ない』事が出来る配置にすればある意味では問題がない。
法的規制が必要かと言われたら、個人的にはそこまで……と思ってしまうが
業界内での規制ぐらいはしてほしい。
そして、規制した結果がこれならば、今後に期待していきたいとも思う。
ライトノベルに限らず……「あー。うん」と目を逸らしたくなる表紙は少女漫画にもあるような気がする。
が、少女漫画も最近見ないので、何とも言えない。
とりあえず、次に書店に行ったらライトノベルや漫画の表紙を確認だけして来ようと思う。