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『幸せは自分が決める』
という言葉が好きだ。
ただ、それって『いつでも幸せだ』と言い続けることではないとも思う。
『他人の幸不幸を決めることはできない』という事だ。
私が「不幸せだーーー」と叫んでいたら、きっと周囲は「不幸せな人なのだろう」と思う。
けど、次の瞬間には「チーズケーキ美味しい」と喜んでいるかもしれない。
それを見た周囲は「幸せな人」と思うのかもしれない。
不幸せだと思った時に「不幸せだーー」と、叫べる幸せというのもあると思う。
不幸せでも「幸せ」と言えるのもまた、幸せなのかもしれない。
何が『幸せ』かなんて決めるのは至難の業なのだと思う。
応援される幸せと応援されない幸せ
何でこんな事を書いているかと言うと、『卑屈で、苦労話ばかりするAさんと、
謙虚で、前向きな話をするBさん。
Aさんにどれだけ「そうなるだけの理由」があっても、人がつい応援したくなるのは、Bさんの方』
と、いうのを見かけたからだ。
正直、今の私はAさんだ。
卑屈でイライラして、トゲトゲの言葉を書き殴っている。
別に応援してほしいとか、共感してほしいなんて思っていない。
ただ、自分の中で今が『卑屈でイライラして、トゲトゲしている』時期なのだ。
上記の文章の前には『そんな不幸話を見ている若者たちは暗い気分になるだろう』と、言った読み手の事を考えた記事になっていた。
たしかに、ネットに公開する限りは『読み手』を考えた方がいいのかもしれない。
読み手は読み手で自分で勝手にもっと『幸せになれる記事』を探したらいい。
それだけのことだと思う。
書き手は書き手で、好きに『イライラトゲトゲ発散』したい。
そして、『書きすぎたな』という記事はひっそり削除する。
書いたら消す。
消したら書く。
何も変わらずに残る事はないから、今書ける事を書く。
それが、私の幸せ。
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