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空歌童心

『書く』『考える』『楽しむ』

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憎しみを食べる

普通の人は料理がおいしいと感じるらしい。
私はイマイチそれが判らない。
料理を作る事は大変だ。
だから、作ってくれたことには感謝をする。

けれど、美味しいが分からない。
判らないので、「これ美味しんだよー」と言われるものを、美味しいのだと思う事にしている。
嫌いな味ならたくさんあるけれど、「これ美味しいんだよー」の美味しいが分からない。



母は料理が好きではない。
それでも、作ってくれたことには感謝をしている。
けれど、好きではない事をしているので、味に関しては……無頓着である。
下手をしたら、「腐ってるように見えないからいいだろう」でお弁当に怪しいものが入る事もある。
うっかり食べると、お腹を壊す。

私にとって食事は『痛んでいない(お腹を壊さない)ものを食べる』意外の意味がない。
食べる事が義務だから食べるのだ。
食べなくて済む体ならば、そっちの方がいい。

一人暮らしの時は『死なない程度』を目指して食べていた。
体力は落ちて、肉も落ちたが、死にはしないのでそれでよかった。
健康診断では引っかかって、『この(栄養)状態だと子供を産めない』などと言われたが、産む予定が無いので別にどうでもよかった。
きっと男だったら言われない言葉だったろう。



今、家に居て食事をするたび思う。

私は何を食べているのか。
母は常にイライラして、「食べろ」という。
それをみて、私は「苛立ちや憎しみを食べている」のだと思った。
料理嫌いな母の作った苛立ちや憎しみを食べて、私は生きている。





作ら無くていい。食べない。と言えば、「何で?死にたいの?」と変な方向に話がいく。
人間、最小限の食べ物で生きていける。
三食も食べるのは過食だと思うのだが、母にその感覚はない。
説明もめんどくさいので、今日も私は


憎しみを食べて生きている。



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