忍者ブログ

空歌童心

『書く』『考える』『楽しむ』

"無言"カテゴリーの記事一覧

  • [PR]
    ×

    [PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

  • 喋らない子供


    とあるエッセイ本を2冊読んでみた。



    ある場面で喋らない子供時代から今に至るまでが書かれていた。
    すごいなーと思ったのは、親と怒鳴り合えると書かれていた事。

    別に怒鳴り合うことが普通とは思わないケド、
     『嫌という事をイヤと言える』事がすごいと思った。
    聞き入れてもらえるかどうかは別として。


    私は他人でも親でも兄弟でも『イヤ』が言いづらい。
    『嫌ならそう言えばいい』という言葉がとても苦しい。


    他人の前で喋らない事が当たり前なのは
    エッセイの著者たちも私も同じだが
    私は親に対しても言葉を選ぶし、どうしたら(どう言えば)いいかを考える。

    かと言って、エッセイにあったような暴力的な親だったとか、子供に対して否定的な親だったというわけでもない。
    うちの親はエッセイの中の親に比べれば、暴力も暴言もない。


    私が行動や言葉を選ぶのは私の気質と言えるのかもしれない。
    とはいえ、いつもそんなに気を張ってるわけでもないので、気を許したときにうっかり発してしまう言葉は暴言になる事もある。
    即座に暴言に気が付くも、どうしようもなくて凹んで開き直る。
    そしてその後は、「喋らないでおこう」という意思が強まる。


    喋らなければ傷つけることもなければ、傷ついたことを知られることもない。
    何もない事にするためには、喋らない事が一番なのだ。




    そうやって飲み込んだ言葉で私の身体は膨らんでいく。





    読んだエッセイ本の事はこちらでも書いている。

    拍手

    PR
  • 私と無言

    話すことについて

    話すことが苦手で保育園の時はほとんど話さなかった。
    家では話していたと思うのだが、あまり記憶がない。
    妹達とは普通に話していたし、父方の従姉妹たちとも普通に話していた。
    けれど、保育園でだけは誰とも話ができなかった。
    そんな子は私だけではなかった。
    当時、私の他にももう一人話さない子がいて、自分を異常だと思った事はなかった。
    小学校に入ると従姉妹を通して話せる人が増えたが、中学に入るとまた徐々に元に戻った。

    それに名前があると知ったのは成人前だった。
    ネットの中に【その言葉】はあったが、当時は個人のホームページ一つしか検索出てて来なかった。

    それから10年以上たって、その言葉は検索すればたくさんのページが出てくるようになった。
    同時に【その言葉】への違和感も強くなった。


    無言の私

    私は『無言』なのである。
    話さないとはそういう事なのだと思っている。
    話さない私が何を思っていたかはまた別場所で書くことにする。
    ここでは【その言葉】について思う事を書いていこうと思う。

    拍手