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空歌童心

『書く』『考える』『楽しむ』

"無言"カテゴリーの記事一覧

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  • 「黙ってないで」と言われたあなたへ


    子供の頃、あまり話すことが好きじゃなかった。
    今もあまり好きではない。
    なので、「ちゃんと話して」「しっかり言って」「黙ってないで」などなど、言われる事はしょっちゅうだった。

    仕舞には「そんなのじゃ、生きていけない」と、生存否定までしてくる人もいた。



    大人の一歩手前で『場面緘黙』を知って、たぶんそれだったんだろうなと思いながら生きてたけど
    今は、それ、要らないと思う。

    苦しいのは、「話したいのに話せない」なんて言われているからだ。

    結局「話すこと」が前提なのである。
    それは苦しい。




    想像してみたらいい。
    目の前に言葉の通じない化け物がいる。
    話したいと思いますか?


    私は話したくない。
    「ちゃんと話して」「しっかり言って」「黙ってないで」
    化け物たちは、喜々として責めたててくる。
    自分の正しさを押し付けてくる。
    待つことが出来ない自分を差し置いて、相手を責める楽しさに酔いしれている。
    もしかしたら、相手は何も言わないかもしれない。
    けど、「何でこいつ喋んないの?」という心の声、聞こえませんか?



    そんな言葉の通じない化け物と話す必要はない。
    黙ってるあなたが正しい。
    何ならその場から逃げてもいい。



    話すことが常に正しいわけではない。
    黙ってることが、自分にとって正しいのならそうしていい。

    まずはそこから。
    『黙っている正しさ』を自分で認めることから。



    「黙ってないで」という相手の正しさを飲み込まない。
    それは自分のものではない事を知る事。






    そんな事をあの頃の自分に伝えたいなと思った。

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  • 発達障害なんて言わない方がいい


    発達障害なんて言わない方がいいというか、無難だ。
    というのを見かけた。
    まぁ。確かにそうだと思う。


    そうだと思うから、ここでひっそり雑文を書き殴ってる。


    私は、『おしゃべりが苦手』だ。
    どれくらい苦手かというと、『おはようございます』と会社の人に毎日挨拶したら会社に行きたくなくなるくらい。飛び降りて死んだ方が、楽と思うくらいくらいには、苦手だ。
    たぶん、「場面緘黙症」という発達障害から来てるのでは?と思うけれど、緘黙症の話の中にそんな発言(言葉)は見かけないので、違うのかもしれない。


    私は元「場面緘黙症」だと思うけれど、診断する場所もなければ過去にさかのぼっての診断も難しい気がするので、確実とは言えない。

    だから、なるべく書かないようにしているけれど、今年は書きたいと思ったので、書いてみた。
    が、今はそのブログは閉鎖している。
    いくつかの記事をこのブログに移行しようと思っているけれど、まだ移行はしていない。



    なぜ、書いては消すのかと言えば

    ::『場面緘黙症』のイメージから外れた発言をすれば
    『お前は場面緘黙なんかじゃない』という人間が出てくる。

    ::逆に『私の一例』が『場面緘黙症』という症状となんでも紐づけられてしまうのも困る。


    といったようなところだと思う。

    特に、臆病な私は「お前なんか違う」と言われたら、とてつもなく凹む事も知ってるので
    厄介な事に首を突っ込みたくはないのだ。





    そして、現状……昔よりも「場面緘黙」について発信してる人が多いので、私じゃなくてもいいか……と思ってる。


    なので、メインで発信はせずこのままひっそり発信するだろうなぁ。
    「おしゃべり苦手な言野(この)さん」でいいと思うのです。



    そんな感じで少しずつ、「おしゃべり苦手な事について」の記事を増やす予定。

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  • 喋りたいけど喋れない

    【その言葉】のキャッチコピーなのか説明なのか。
    【その言葉】の後には「喋りたいけど喋れない」とついていることが多い。

    はて?と思う。

    私が【その言葉】を最初に見た時はそんな説明文はなかった。
    ただ『特定の場面などで話せなくなる症状』と言ったような事が書いてあった。

    「喋りたいけど喋れない」というのは【その言葉】の症状を持つ人間が、何を思ってるのかを語っているのだろうと推測する。
    同時に、では「喋りたい」とは思ってない時、または「喋りたい」とは思ってない人は【その言葉】には当てはまらないのだろうか?という疑問が湧く。


    おそらく、こんなやり取りがあったのではないかと推測する。

    【その言葉】の人って、何も言わないから何を思ってるのか分からない。という周囲の指摘。
    それに対して「喋りたい」と思っているという意見が出た。
    そこから、【その言葉】「喋りたいけど喋れない」なんていう説明が加わったのだろうか?

    ずいぶん乱暴な説明文が付いたものだと思う。
    分かりやすいかも知れない。
    けれど、それは『【その言葉】です』と言ってる人達は皆「喋りたいと思っている」という、乱暴な結論を付けるという事だ。


    かつて見た『うつ病は心の風邪』みたいなものに似ている。
    『風邪のように誰でもなる』という事を言いたかったはずが、『風邪のように治る』と誤解させる。

    「喋りたいけど喋れない」も似たようなものだ。
    『喋りたいけど喋れない』時も『喋りたくないから喋らない』時も一緒くたにされる。
    結果、「あなたが喋ってまで待ち続ける」もしくは「あなたが喋れるに協力する(無理解な協力)」という理解者が増えるかもしれない。



    分かりやすい言葉は確かに『分かりやすい』かもしれないが、大抵の場合「誤解させやすい言葉」でもある。
    この先、誤解が顕著に出てくるのか、それとも、キャッチコピーが引っ込むのかちょっと気になってはいます。



    【その言葉】については検索をすれば出てくると思うので、ここでは書きません。

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