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子供の頃、あまり話すことが好きじゃなかった。
今もあまり好きではない。
なので、「ちゃんと話して」「しっかり言って」「黙ってないで」などなど、言われる事はしょっちゅうだった。
仕舞には「そんなのじゃ、生きていけない」と、生存否定までしてくる人もいた。
大人の一歩手前で『場面緘黙』を知って、たぶんそれだったんだろうなと思いながら生きてたけど
今は、それ、要らないと思う。
苦しいのは、「話したいのに話せない」なんて言われているからだ。
結局「話すこと」が前提なのである。
それは苦しい。
想像してみたらいい。
目の前に言葉の通じない化け物がいる。
話したいと思いますか?
私は話したくない。
「ちゃんと話して」「しっかり言って」「黙ってないで」
化け物たちは、喜々として責めたててくる。
自分の正しさを押し付けてくる。
待つことが出来ない自分を差し置いて、相手を責める楽しさに酔いしれている。
もしかしたら、相手は何も言わないかもしれない。
けど、「何でこいつ喋んないの?」という心の声、聞こえませんか?
そんな言葉の通じない化け物と話す必要はない。
黙ってるあなたが正しい。
何ならその場から逃げてもいい。
話すことが常に正しいわけではない。
黙ってることが、自分にとって正しいのならそうしていい。
まずはそこから。
『黙っている正しさ』を自分で認めることから。
「黙ってないで」という相手の正しさを飲み込まない。
それは自分のものではない事を知る事。
そんな事をあの頃の自分に伝えたいなと思った。
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