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とあるエッセイ本を2冊読んでみた。
ある場面で喋らない子供時代から今に至るまでが書かれていた。
すごいなーと思ったのは、親と怒鳴り合えると書かれていた事。
別に怒鳴り合うことが普通とは思わないケド、
『嫌という事をイヤと言える』事がすごいと思った。
聞き入れてもらえるかどうかは別として。
私は他人でも親でも兄弟でも『イヤ』が言いづらい。
『嫌ならそう言えばいい』という言葉がとても苦しい。
他人の前で喋らない事が当たり前なのは
エッセイの著者たちも私も同じだが
私は親に対しても言葉を選ぶし、どうしたら(どう言えば)いいかを考える。
かと言って、エッセイにあったような暴力的な親だったとか、子供に対して否定的な親だったというわけでもない。
うちの親はエッセイの中の親に比べれば、暴力も暴言もない。
私が行動や言葉を選ぶのは私の気質と言えるのかもしれない。
とはいえ、いつもそんなに気を張ってるわけでもないので、気を許したときにうっかり発してしまう言葉は暴言になる事もある。
即座に暴言に気が付くも、どうしようもなくて凹んで開き直る。
そしてその後は、「喋らないでおこう」という意思が強まる。
喋らなければ傷つけることもなければ、傷ついたことを知られることもない。
何もない事にするためには、喋らない事が一番なのだ。
そうやって飲み込んだ言葉で私の身体は膨らんでいく。
読んだエッセイ本の事はこちらでも書いている。
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