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空歌童心

『書く』『考える』『楽しむ』

"雑記"カテゴリーの記事一覧

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  • 物と人間の違い
    食人種でも、人の肉はごちそうならしい。
    でも、食べるのは誰でもいいわけでもない。
    神に近い存在か。もしくは部族外の人間か。
    ……みたいな事を読んだことがある。

    事実は分からないが、要は『自分たちと同じ人間(仲間)』と認識している相手は食べる対象ではなかったのだろうと思う。

    殺人も似てるのかもしれない。
    人が人を殺せるのは、相手を人間だと思わないからだ。
    人間だと思った瞬間に、殺せなくなる。
    『人間=自分(もしくは、自分に近しいもの)』だからだ。


    痴漢も似たようなものらしい。
    痴漢する人間は痴漢する相手を『自分と同じ人間』とは思っていない。
    目の前に存在する物体でしかない。
    と言ったような言葉をどこかで読んだ。




    人間かそうでないかは。
    『自分が相手を人間と思うかどうか』でしか、区別されないのだと思う。




    「目の前に人間そっくりのアンドロイドがいたらどうする?」
    と、聞いたら
    「胸をもむ」と返ってきた。
    聞いた相手は女性である。
    「人間の胸と何が違うのか知りたい」と続いた。


    なるほど、これが人間が持つ『加害性』というものなのかと思った。
    『知りたい』という欲求は私の中にもある。
    それは子供の無邪気な『探求心』にも似ている。
    それが、相手にとって『害なすもの』になる事になるのかどうか……を考えるのは、相手を人間と判断した場合だ。
    相手を物として判断した途端『自分の行動や行為は害をなすものになるか』という判断が消え去る。


    「人間そっくりのアンドロイド」と「人間そっくりのアンドロイドに化けた人間」では
    見た目はほぼ一緒だろう。
    ただ、それを目にした人間の認識の差で態度が変わる。


    そして、それは私の中にもある。



    「実はアンドロイドに化けた人間だったら?」と聞き直したら
    「え?だったら、別にいい」と返ってきた。

    ……。
    どこで『人間』と判断し、どこで『物』と判断するか。
    それは自分の行動が相手にとって『害をなすものかどうか』を考える基準でもあるのだと思う。


    物であるものに、どんな害を加えても構わないと人間は判断するのだ。


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