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とあるエッセイ本を2冊読んでみた。
ある場面で喋らない子供時代から今に至るまでが書かれていた。
すごいなーと思ったのは、親と怒鳴り合えると書かれていた事。
別に怒鳴り合うことが普通とは思わないケド、
『嫌という事をイヤと言える』事がすごいと思った。
聞き入れてもらえるかどうかは別として。
私は他人でも親でも兄弟でも『イヤ』が言いづらい。
『嫌ならそう言えばいい』という言葉がとても苦しい。
他人の前で喋らない事が当たり前なのは
エッセイの著者たちも私も同じだが
私は親に対しても言葉を選ぶし、どうしたら(どう言えば)いいかを考える。
かと言って、エッセイにあったような暴力的な親だったとか、子供に対して否定的な親だったというわけでもない。
うちの親はエッセイの中の親に比べれば、暴力も暴言もない。
私が行動や言葉を選ぶのは私の気質と言えるのかもしれない。
とはいえ、いつもそんなに気を張ってるわけでもないので、気を許したときにうっかり発してしまう言葉は暴言になる事もある。
即座に暴言に気が付くも、どうしようもなくて凹んで開き直る。
そしてその後は、「喋らないでおこう」という意思が強まる。
喋らなければ傷つけることもなければ、傷ついたことを知られることもない。
何もない事にするためには、喋らない事が一番なのだ。
そうやって飲み込んだ言葉で私の身体は膨らんでいく。
読んだエッセイ本の事はこちらでも書いている。PR -
何もない町
私が住んでる町が舞台の漫画を読んだ。
『山と田んぼ以外、何もない町』
そう書かれてた。
確かになぁと思う。
町でも役場がある中心部と山の中の山間部まで、若干の景色の違いは楽しめると思う。
中心部は家や建物が多い。
中心部から離れるほど田んぼが広がっていく。
さらに山間部へと上ると田んぼがまた減って、田んぼの向こうに木だったり、木の間に田んぼだったりが広がる。
さらに山に入ると、空き家が多い限界集落へと続く。
さらに山奥は……観光地として町の収入源になっている。
冬になれば田んぼの面積の違いに加えて、積雪量も違ってくる。
山になればなるほど多くなり、街の中心部に向かうほど雪は減る。
さらに海側に進めばもっと減る。
もしくは町の外。川の向こうに行くだけでも雪の量は変わってくる。
たった数センチ。されど、数センチの雪。
基本、海に向かうほど少なくなる雪の量だけど、時々、雲のせいか風のせいか、
海側が多くて山側の方が少ないなんて事にもなる。
自然の不思議をそんな時に感じる。
同じ町内ですら、町の中心部に住む人には
『ホント、ここって田んぼしかないね』と言われ
山側に住む人にも
『あそこって田んぼしかない所でしょ』
と言われるのが私が住んでる場所だ。
……。同じ町内のはずなのに…と思ってしまうが、
やはり、中心部や山側の人には田んぼが目立つんだなと思ってしまった。
無いものが増えていく町
テレビの中にはたくさんのものがある。
ファストフードやオシャレな洋服。高層ビル。……東京基準の情報が沢山あって、地方に住んでいると『自分の町には何もない』と思わされる。
地方の風景が映されると大抵ついてくるコメントは
『何もない』『素朴』
もしくは
『日本の原風景が広がってます』
なんて言葉で田んぼが広がる景色を紹介している。まるで、生活の場ではないように思えてくる。
東京基準で考えれば、東京にあるものの殆どがこの町には無い。
漫画の中でもあったけど『楽器屋』なんて洒落たものはない。
マクドナルドもサーティーワンもアニメイトもない。
もっと言うのなら、書店も産婦人科も潰れてなくなった。
保育所も小学校も数を減らしてる。
鉄道もいつまで走ってくれるか怪しいし、高校も風前の灯火だ。
『何もない町』ではなくて、『ないものが増えていく町』だ。
唯一、コンビニは増えたな……と思う。
本の感想はこちら
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ファミリーコンプレックス?
『ファミリーコンプレックス』略して『ファミコン』なる言葉が存在するのかと思って
検索をしてみた。
……あるような、ないような……何とも言えない感じで一応存在していた。
『ファザコン』や『シスコン』と似たような感じの『家族大好き』みたいな意味らしい。
『コンプレックス』とは『劣等感』なイメージがあるのに、なぜ『大好き』のような意味になるのか調べたら『強いこだわりを持つ感情』といったような言葉が出てきた。
なるほど、『強いこだわりを持つ感情』なのならば、『劣等感』も『大好き』も同じなのかもしれない。
私の携帯には『ファミコン』の文字が入っている。
家族のメールやアドレスだけがそこに入っている。
私は家族に『強いこだわり』を持っている。
家族にこだわりを持たないなんて事は難しいと思うけど、妹や弟を見てるとやっぱり私は少し過剰なのかもしれないと思う。