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おしりふきから「お母さん応援」という文言を削除するという記事を見た。
……。私は母親ではない。
が、その言葉に違和感を覚えた人の気持ちは分かる。
理由は私が子供のおむつを変える時だとか、ミルクを作る時に「お母さん応援」のような文を目にした事があるからだ。
冗談半分で「私、お母さんじゃないのにねー」と言っていた。
別に子供のお尻を拭いたり、ミルクを作ったりするのは『お母さん』でなくてもいい。
お父さんでもいいし、おじいちゃんでもいいし、おばあちゃん、でもいい。
歳が離れているなら、おにーちゃんやおねーちゃんの場合もあるかもしれない。
なのに、応援されているのは『お母さん』だ。
……だったら、『お母さん、頑張って(私はやりたくない)』と私は思った。
もちろん、人によるのは分かる。
私が、意地悪なだけかもしれない。
けれど、大抵の子育て商品は『ママ応援』の言葉を目にするような気がする。
少なくとも『パパ応援』商品は見かけたことがない……見かけたことがないだけで、ないとは言わないケド。
うん。ママ、大変ね…判るわ。一人で子育て大変よね。
頑張って!!……一人でね。と何度思ったか知れない。
応援されているのは『ママ』なのだから、ママが頑張って当然でしょ!!とすら思ってしまう時もある。
なぜ『子育てしてる人みんな』が応援されないのか。
『お母さん応援』はお母さんを益々孤立させてるだけではないのか?
……一人で子育て頑張るわ!!な人はそれでいいと思うケド。
もし、お母さんが亡くなってて、周りの人が頑張って子育てしてたりしたら……。
「お母さん応援」という言葉を見るだけで複雑な気分が色々押し寄せる人がいるかもしれない。
逆にもし私が母親だったら……。
それはそれで、一人で頑張らなければいけない気になって辛いだろうなーと思う。
※もし、私が男性で『パパだから子供の世話をしている』と勘違いして読んでしまった方のために。
私、言野(この)は女性です。PR -
知り合いから「出来ない新人」の話を聞いた。
まず
『仕事ができない』
知り合い曰く。『いつまでも、遅い』『なのに、失敗する(しかも、誰もやったことがない失敗)』
ほうほう…と、聞いていた。
次に
『あいさつをしない』
知り合い曰く。『おはようございますがない』『お先に失礼しますも言わずに、帰る』
……へー(ドキドキ)
最後に来るのは
『やる気がないんだと思う』
私の心臓が壊れそうです。
思い当たるところが多すぎて。
仕事の内容と、その新人さんが『正社員』というところから察するに……高卒さんかなと。
私、思い当たるところが多すぎて、泣きたい。
まず、仕事は遅い……。ええ。私も、どの仕事をやっても言われました。
『遅い』
そう言われると、ますます遅くなりました。そして、不良連発。
居たたまれなくて、辞めました。
そうやって仕事を変えてたどり着いたのが
「遅いけど、不良が一個もない」と言ってくれる人達でした。
すごく、救われた気分になりました。
そして、失敗が言えない。
言えない。
「なんで、そんな事したの?」って責められるのが怖くて、言えない。
でも、失敗するので責められる。
もう、ばれた時に責められるのでいいや……と諦めてました。
言っても、言わなくても結果が同じなら、言わない方がマシなのです。
そんな事をしながら、仕事を変えてたどり着いたのが
「言ってくれてありがとう。よく、気が付いたね」
と言ってくれる人達でした。
一瞬、何を言われてるのか分からなくて、ポカンとしました。
が、言わなくて不良を増やすより、言ってくれて不良が少ない方がいいという考えだったようです。
私の失敗も、新人は皆やってしまう失敗で想定内だったらしいです。
失敗が想定内に入ってるなんて、それまでの会社ではなかったので目から鱗が落ちました。
あいさつしない。
……しません。挨拶しろと言われるなら、ビルの屋上から飛び降りろと言われる方がマシです。
挨拶をしなくてもいい職場に辿り着いたときは、とても楽でした。
帰りに一言を言う。
これも、とーーても難しかった。
『言ってから帰って』と言われると、延々と仕事をしているふりをして誰かに「帰らないの?」と言われるまで待ってました。
定時に無言で帰っていい(もしくは、皆定時終わり)職場の方が多かったので、これはあまり悩んだ記憶がない。
とはいえ、いくつかは「言ってから帰る」ところだったので、一緒に定時に帰る人の陰に隠れて小さい声で言ってたかな。
出来る人達は出来ない人達の気持ちが分からないんだと思う。
それは、私も含めてなのだけど……だから、安易に『なんで、出来ないの』と責める前に「どうしたら出来るかな」って考えるようにしたい。
出来ない=やる気がない……となってしまうのがほとんどなのだろうけど……なかなか、それって辛いなぁと改めて思った。
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発達障害なんて言わない方がいいというか、無難だ。
というのを見かけた。
まぁ。確かにそうだと思う。
そうだと思うから、ここでひっそり雑文を書き殴ってる。
私は、『おしゃべりが苦手』だ。
どれくらい苦手かというと、『おはようございます』と会社の人に毎日挨拶したら会社に行きたくなくなるくらい。飛び降りて死んだ方が、楽と思うくらいくらいには、苦手だ。
たぶん、「場面緘黙症」という発達障害から来てるのでは?と思うけれど、緘黙症の話の中にそんな発言(言葉)は見かけないので、違うのかもしれない。
私は元「場面緘黙症」だと思うけれど、診断する場所もなければ過去にさかのぼっての診断も難しい気がするので、確実とは言えない。
だから、なるべく書かないようにしているけれど、今年は書きたいと思ったので、書いてみた。
が、今はそのブログは閉鎖している。
いくつかの記事をこのブログに移行しようと思っているけれど、まだ移行はしていない。
なぜ、書いては消すのかと言えば
::『場面緘黙症』のイメージから外れた発言をすれば
『お前は場面緘黙なんかじゃない』という人間が出てくる。
::逆に『私の一例』が『場面緘黙症』という症状となんでも紐づけられてしまうのも困る。
といったようなところだと思う。
特に、臆病な私は「お前なんか違う」と言われたら、とてつもなく凹む事も知ってるので
厄介な事に首を突っ込みたくはないのだ。
そして、現状……昔よりも「場面緘黙」について発信してる人が多いので、私じゃなくてもいいか……と思ってる。
なので、メインで発信はせずこのままひっそり発信するだろうなぁ。
「おしゃべり苦手な言野(この)さん」でいいと思うのです。
そんな感じで少しずつ、「おしゃべり苦手な事について」の記事を増やす予定。