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海の闇月の影が好きだ。
篠原先生の作品の殆どは読んでいた。
うん。読んでいた……。
最近のはちょっと、歴史もの?になったみたいで遠ざかった。
で、海の闇月の影の話が載っていた。
ヒーロー役(?)の当麻が嫌いだったと。
ついでに主人公の流風も…嫌いと。
へー。そういう人もいるんだ。と思った。
私は全くそう思わなかった。嫌いでもないが、好きでもない。
物語を動かすために二人がいる……それだけ。
作者さんが、元々キャラに感情移入して描かないというような事を言ってたような気がする。
その言葉通り、他の作品も『物語のためのキャラ』しかいない。
作者さんが感情移入していないのだから、読者も感情移入するようなものじゃないんだと割り切って読んでいたような気がする。
でも、流水は人間臭くて好きだった。
人を沢山殺す悪役だけど、流水の方がまともだった。
主人公の流風は「良い子」だけど、変。
と言ったことを、「当麻嫌い」な人も書いていた。
単純にいえば、人間味が無い。
一見『まとも』そうな事を言ってるけど、色んな感情がさっくり削除されてる。
それはヒロインもだけれども、ヒーローも向こう側で、感情移入させるキャラとしては存在してない。
流水も最初は感情移入しにくい、『狂気系?』キャラだったけれども、徐々に人間臭さを見せていく。
でもそれって、作者が流水に感情移入したから変わっていったらしい……とどこかに書いてあったような。
最初の方で打ち切られていたら、 『誰にも感情移入できないけど、なんか怖くて面白い話』で終わってたのかもしれない。
海の闇月の影に関していうのならば、キャラではなくて…
話が無駄に長くなってるなというのを感じた。
処方箋探しとか……無駄にミッション作って長引かせたのかなーと。
実際どうなのか分かんないケド、さくさく殺すためにキャラが出てくる。
色んな意味で切ない話だなと思った。
篠原先生の作品はさくさくと人が死んでいくけど、
死ぬためにキャラが出てくるのはこの作品だけじゃないかなと思う。
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新幹線で刃物で人を殺した事件と
某ネット小説原作のアニメが製作中止になった件がなんとなく、似てるなと思った。
某ネット小説は差別的表現が多くて声優が降板したらしい。
小説だけではなくて、原作者も過去にツイッターで差別的表現をしていた事も指摘されている。
それに対する感想が
「それくらいで、アニメ化中止なんておかしい」
「当たり前の事(某国差別)を言っただけ」
「誰も傷ついてない」
という声を聞いた。
原作者のツイッター内容は今は置いておくとして、
小説内での表現は微妙で『某国人』への差別なのか?と言われると、ギリギリのラインのような気もする。
ただ、批判の大半はニュースに対する『感想』でしかない。
小説を読んだけれども、そんな事は感じなかった……というのはあまり見かけなかった。
(もちろん、読んだという人もいたけれど)
同時に「そんなこと」と感じる人が多いように思うのは
戦争が遠いからだろうなとも思う。
戦後が続いている日本にいて、戦争を知らない世代が大半の占める国で
今更『過去の戦争』は大昔の出来事でしか、ないのだろうなと。
それはある意味幸せで、ある意味残酷なのかもしれないと思うのです。
以前テレビで若者が戦争の話をする老人に
「嫌なら戦争に行かなければいい」とか
「なぜ、戦争をしてはいけないの?」と
ただ思った事を言っただけというのがすごく印象に残っている。
私たちは知らないのだ。
『自分の意思を持つことを許されない時代』も
『戦争の悲惨さを繰り返す怖さ』も
そして、想像することすらできない世代になっているのだと。
新幹線の事件は衝撃的ではあるけれど、
サカキバラ事件を知ってる身としては、そこまで衝撃的ではないし
ニュースも他の大きな話題に持って行かれてるような気がする。
犯人は「人を殺したかった」と他の事件でも聞いたような供述をしているのだとか。
正直、「人を殺したかった」は聞き飽きた。
通り魔的犯行の犯人がそんな供述をするのは今までにもあった。
なんなら、小学生するそんな事を言って同級生を殺した事件もあった……ような気がする。
でも、ふと立ち止まると似てるのだ。
アニメ中止になった原作小説と現実の殺人事件。
小説は小説で関係ないのは分かっているが、差別発言を平気で垂れ流す小説の主人公は
「自分の力を見せつけるために某国で何千人殺したと書いている」というのを見て
『自分の力を見せつけるために他者を傷つけてもいい』
というようなものが似ているなと思った。
もちろん、それを小説の中に留めるのか、現実でやるのかは大きな違いだ。
それでも、『傷つけた相手の気持ち』が消えているのは、似ているなと思った。
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以前、女性差別反対な人は我儘。
みたいな記事を読んだ。書いていたのは女性。
そして、結論は
「私はちやほやされたいから、女性差別賛成」だった。
また別の人は
「男性に女性扱い(重いものを持ってくれたり……)されるのが嬉しい。男女差別でよかった」みたいなのを書いていたのを見た。
……たぶん、彼女たちは『女性差別』がどんな差別なのか分かってないような気がした。
以前、「女性にはサインコサインなんて要らない」みたいな発言をした人がいるらしい。
残念だが、私にはそれがよく判ってしまう。
発言者が本当に何気なく、『当然の事』として言ってしまったことが分かってしまう。
たぶん、女性差別賛成さん達はそーいう事が分からないのだと思う。
踏みつぶされた経験がないのか、気が付かなかったのかのどちらかだろう。
『ちやほや』されたいのと、女性差別
さて、最初の「ちやほやされたいから、女性差別賛成」というのは、
色んな意味で間違っている。
当然ながら男たちは『ちやほやする』見返りを求めてる。
下心アリの『ちやほや』なのだ。
彼女が年老いてしわくちゃの女性だとしたらどうだろう?
おそらく大半の人間は『ちやほや』はしない。
書いていた女性は若かった。
当然、若い男たちはちやほやするだろう。見返りが欲しいのだから……。
もちろん、そうではなくて中には純粋な親切心もあると思う。が、それは少数のような気がする。
『ちやほや』するのが、『女性だから』ではなくて『若いから』
という事は、そこにあるのは「性差別」ではなく、「年齢による差別」である。
また、「見た目も重要」だと思うので、それは「容姿差別」でもある。
かっこいい男性も女性からは「ちやほや」されるだろう。
そんなわけで、「ちやほやされたい」のと「女性差別」に関係性はない。
女性扱いと男女差別
二つ目の「女性扱いされるのが嬉しいから、男女差別でよかった」というのも、
色々と違うような気がする。
書いた人は田舎へ移住してきて、男性たちが親切だと書いていた。
記事を読む限り、『移住者への親切』としか読めなかった。
恐らく男性移住者にも似たような対応をするはずだと思う。
中には「男性は力仕事で集められた」みたいな部分もあったが、
そこでも、「自分は女性で力仕事をしなくていいから良かった。」
と言った記述があった。
確かに、田舎の男性は力仕事をしてくれるかもしれない。
が、それを労わるのは女性の仕事だ。
「ありがとう」なんて言葉だけでは済まされない。
お茶の準備はすべて女性の仕事として任されるのだ。
……お茶くみが好きならそれはそれでいいのだが、
今の時代「会社の女性がお茶くみ拒否して困る」なんてのも見かけるのに
『私はお茶くみ好きだから、男女差別でよかった』なんていうのもまた、差別的だなと思う。
男女問わず、好きな人がやればいい……それだけの話。
『私は力仕事をしなくてよかった』という気持ちは分かるが、
男性の中にも「力仕事をしたくない」という人がいると思う。
性別で仕事を分ける事が男女問わず差別だと思う。
男女同じにしたらいいの?
男女の待遇を同じにしたらいいなどとは思ってはいない。
どこかで差異は出ると思うが、それに合理的理由があるか。
文化的理由なのではないか。
本当に必要なものなのか……と考えるのは必要だと思う。