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空歌童心

『書く』『考える』『楽しむ』

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誰が傷ついたのか想像する

新幹線で刃物で人を殺した事件と
某ネット小説原作のアニメが製作中止になった件がなんとなく、似てるなと思った。


某ネット小説は差別的表現が多くて声優が降板したらしい。
小説だけではなくて、原作者も過去にツイッターで差別的表現をしていた事も指摘されている。

それに対する感想が
「それくらいで、アニメ化中止なんておかしい」
「当たり前の事(某国差別)を言っただけ」
「誰も傷ついてない」
という声を聞いた。


原作者のツイッター内容は今は置いておくとして、
小説内での表現は微妙で『某国人』への差別なのか?と言われると、ギリギリのラインのような気もする。


ただ、批判の大半はニュースに対する『感想』でしかない。
小説を読んだけれども、そんな事は感じなかった……というのはあまり見かけなかった。
(もちろん、読んだという人もいたけれど)


同時に「そんなこと」と感じる人が多いように思うのは
戦争が遠いからだろうなとも思う。

戦後が続いている日本にいて、戦争を知らない世代が大半の占める国で
今更『過去の戦争』は大昔の出来事でしか、ないのだろうなと。

それはある意味幸せで、ある意味残酷なのかもしれないと思うのです。


以前テレビで若者が戦争の話をする老人に
「嫌なら戦争に行かなければいい」とか
「なぜ、戦争をしてはいけないの?」と
ただ思った事を言っただけというのがすごく印象に残っている。


私たちは知らないのだ。
『自分の意思を持つことを許されない時代』も
『戦争の悲惨さを繰り返す怖さ』も

そして、想像することすらできない世代になっているのだと。



新幹線の事件は衝撃的ではあるけれど、
サカキバラ事件を知ってる身としては、そこまで衝撃的ではないし
ニュースも他の大きな話題に持って行かれてるような気がする。



犯人は「人を殺したかった」と他の事件でも聞いたような供述をしているのだとか。



正直、「人を殺したかった」は聞き飽きた。
通り魔的犯行の犯人がそんな供述をするのは今までにもあった。
なんなら、小学生するそんな事を言って同級生を殺した事件もあった……ような気がする。


でも、ふと立ち止まると似てるのだ。


アニメ中止になった原作小説と現実の殺人事件。
小説は小説で関係ないのは分かっているが、差別発言を平気で垂れ流す小説の主人公は
「自分の力を見せつけるために某国で何千人殺したと書いている」というのを見て

『自分の力を見せつけるために他者を傷つけてもいい』


というようなものが似ているなと思った。


もちろん、それを小説の中に留めるのか、現実でやるのかは大きな違いだ。

それでも、『傷つけた相手の気持ち』が消えているのは、似ているなと思った。




























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