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空歌童心

『書く』『考える』『楽しむ』

"性別"カテゴリーの記事一覧

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  • ちやほやされるのは女性だから?


    以前、女性差別反対な人は我儘。
    みたいな記事を読んだ。書いていたのは女性。
    そして、結論は

    「私はちやほやされたいから、女性差別賛成」だった。


    また別の人は
    「男性に女性扱い(重いものを持ってくれたり……)されるのが嬉しい。男女差別でよかった」みたいなのを書いていたのを見た。

    ……たぶん、彼女たちは『女性差別』がどんな差別なのか分かってないような気がした。

    以前、「女性にはサインコサインなんて要らない」みたいな発言をした人がいるらしい。
    残念だが、私にはそれがよく判ってしまう。
    発言者が本当に何気なく、『当然の事』として言ってしまったことが分かってしまう。
    たぶん、女性差別賛成さん達はそーいう事が分からないのだと思う。
    踏みつぶされた経験がないのか、気が付かなかったのかのどちらかだろう。

    『ちやほや』されたいのと、女性差別


    さて、最初の「ちやほやされたいから、女性差別賛成」というのは、
    色んな意味で間違っている。
    当然ながら男たちは『ちやほやする』見返りを求めてる。
    下心アリの『ちやほや』なのだ。
    彼女が年老いてしわくちゃの女性だとしたらどうだろう?
    おそらく大半の人間は『ちやほや』はしない。
    書いていた女性は若かった。
    当然、若い男たちはちやほやするだろう。見返りが欲しいのだから……。
    もちろん、そうではなくて中には純粋な親切心もあると思う。が、それは少数のような気がする。

    『ちやほや』するのが、『女性だから』ではなくて『若いから』
    という事は、そこにあるのは「性差別」ではなく、「年齢による差別」である。
    また、「見た目も重要」だと思うので、それは「容姿差別」でもある。
    かっこいい男性も女性からは「ちやほや」されるだろう。
    そんなわけで、「ちやほやされたい」のと「女性差別」に関係性はない。

    女性扱いと男女差別


    二つ目の「女性扱いされるのが嬉しいから、男女差別でよかった」というのも、
    色々と違うような気がする。

    書いた人は田舎へ移住してきて、男性たちが親切だと書いていた。
    記事を読む限り、『移住者への親切』としか読めなかった。
    恐らく男性移住者にも似たような対応をするはずだと思う。
    中には「男性は力仕事で集められた」みたいな部分もあったが、
    そこでも、「自分は女性で力仕事をしなくていいから良かった。」
    と言った記述があった。

    確かに、田舎の男性は力仕事をしてくれるかもしれない。
    が、それを労わるのは女性の仕事だ。
    「ありがとう」なんて言葉だけでは済まされない。
    お茶の準備はすべて女性の仕事として任されるのだ。

    ……お茶くみが好きならそれはそれでいいのだが、
    今の時代「会社の女性がお茶くみ拒否して困る」なんてのも見かけるのに
    『私はお茶くみ好きだから、男女差別でよかった』なんていうのもまた、差別的だなと思う。

    男女問わず、好きな人がやればいい……それだけの話。


    『私は力仕事をしなくてよかった』という気持ちは分かるが、
    男性の中にも「力仕事をしたくない」という人がいると思う。

    性別で仕事を分ける事が男女問わず差別だと思う。


    男女同じにしたらいいの?


    男女の待遇を同じにしたらいいなどとは思ってはいない。
    どこかで差異は出ると思うが、それに合理的理由があるか。
    文化的理由なのではないか。
    本当に必要なものなのか……と考えるのは必要だと思う。




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  • 校則に思う

    少し前、地毛が茶髪の女子高生が校則違反だから黒く染めろと強要されるというニュースがあった。
    校則あるあるだなと思っていた。
    そして、『個人の自由の問題』というのを見ては、『人権侵害の問題』だと思っていた。

    と思ってたら、県内で『校則違反で生徒の髪を切る』というニュースが広がった。
    新学期が入る前には『生徒の髪を切った教師を○人処分』なんてニュースも見た。
    何人いたんだよ?と唖然とした。

    ただ、この『髪を切られた生徒』は圧倒的に男子が多かったらしい。
    髪を結べばそれで済む女生徒と違って、男子は髪の長さが規定されているからだろう。

    人権侵害だけではなくて男女差別もそこには含まれている。


    自分が学生の頃を思い出す。
    私の髪は黒いが天然パーマだ。
    入学時や新任の先生がいるたびに説明をしなければなら無いわずらわしさったらなかった。
    「天然パーマ」だと知ると
    「いいわねぇ」と嫌味なのか何なのか分からない言葉が返ってくる。

    何がいいのか分からない。校則違反じゃないかと疑惑を持たれるこっちは、まったく『よろしくない』
    と、当時は思っていた。

    が、あの「いいわね」は自分が持ってないものを、他人が持ってることに対する「いいわね」だったのかもしれないと思う。
    カールをかけなくてもカールしてる髪は良く見えたのだろう。
    ただし、自分の思った通りにカールしてくれるわけではないのだけれども。



    大半の人間が『黒髪』『直毛』だからといって、それをルールにしてるのがおかしい。
    それ以外が『違反者』だと決めつけることもおかしい。
    「校則がおかしいということ」を教えることが出来ない学校もおかしい。



    髪を切ったニュースに戻るが、処分された教師たちは『自分たちが人権侵害をした』という意識は低そうだなぁと思う。
    とりあえず、「生徒の髪を切ってはいけない」という事を学んで、「目の前で自分で髪を切らせる」何てことになってないことを祈る。


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  • 結婚式への固定観念

    『二人のウェディングドレス』への違和感


    以前、女性同性愛者の結婚式がニュースになっていた。
    ニュースの写真は、『二人ともウェディングドレス』

    それに対して、「なんだか、うーんと思ってしまった。私の中のイメージと違っていた」と日記を書いてた人がいた。
    そこについたコメントが「女性なんだから、ウェディングドレスでいいと思う。どこにも違和感を感じる必要ないじゃないですか」と言ったようなものだった。


    ……私は日記投稿者の方に何となく共感してしまった。
    というか、私自身も結婚式のイメージとして、『タキシードとウェディングドレス』なんてものを想像していたのだ。
    別に二人ともウェディングドレスである事が悪いわけではない。
    私の中に「ウェディングドレスの二人」というものが存在しなかったのだ。
    なので、『ああ。こーいうのもあるのね』という新しい発見をしたような気分と
    『自分の中に勝手なイメージが付いていた』という確認ができた。




    同時に、『女性ならばウェディングドレス』という感覚を持っていたのがコメントを付けた人なのかなと思った。
    もし私にその感覚があったなら、『ウェディングドレスの二人』に違和感は抱かなかったかもしれない。
    という事は、もっと言うのならもし、

    女性同性愛者の結婚式が
    『タキシードの二人』
    だったらどう思っただろうとも思った。

    たぶん、日記を書いた人もコメントを書いた人もどちらも「うーん。イメージしてなかった」と目から鱗を落とすのじゃなかろうかとも思ってしまった。


    私は女性がタキシードを着ようがウェディングドレスを着ようがどっちでもいいと思ってる。
    もちろん、男性がタキシードを着てもウェディングドレスでもいい。
    それでも『結婚式にはタキシードとウェディングドレス』という固定観念があったことを、女性同性愛者の結婚式のニュースで理解した。


    タキシード姿の男性にも化粧


    そして、しばらくたった頃さらに斜め上の記事を見つけた。

    「僕は結婚式で自分も化粧をしてもらえるものだと思っていた」という男性の記事だ。
    衣装はタキシードだったのだろうと思うし、化粧をしたい男性というわけでもないらしい。
    性差別に関心のある男性の記事の中で見かけた一文に、驚いた。

    確かにタキシードの男性が化粧をしてはいけないという事はないはずだ。
    綺麗にしてみた目よく人前に出たいのは男性女性ともに変わらない。

    それでも私の中で『化粧は女のもの』という感覚があったんだなぁと思った。
    ただ「見た目をキレイにするための化粧」という感覚がある事に始めて気が付いた。

    タキシードの男性の化粧……いいなと思ってしまった。


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