"心理"カテゴリーの記事一覧
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知り合いから「出来ない新人」の話を聞いた。
まず
『仕事ができない』
知り合い曰く。『いつまでも、遅い』『なのに、失敗する(しかも、誰もやったことがない失敗)』
ほうほう…と、聞いていた。
次に
『あいさつをしない』
知り合い曰く。『おはようございますがない』『お先に失礼しますも言わずに、帰る』
……へー(ドキドキ)
最後に来るのは
『やる気がないんだと思う』
私の心臓が壊れそうです。
思い当たるところが多すぎて。
仕事の内容と、その新人さんが『正社員』というところから察するに……高卒さんかなと。
私、思い当たるところが多すぎて、泣きたい。
まず、仕事は遅い……。ええ。私も、どの仕事をやっても言われました。
『遅い』
そう言われると、ますます遅くなりました。そして、不良連発。
居たたまれなくて、辞めました。
そうやって仕事を変えてたどり着いたのが
「遅いけど、不良が一個もない」と言ってくれる人達でした。
すごく、救われた気分になりました。
そして、失敗が言えない。
言えない。
「なんで、そんな事したの?」って責められるのが怖くて、言えない。
でも、失敗するので責められる。
もう、ばれた時に責められるのでいいや……と諦めてました。
言っても、言わなくても結果が同じなら、言わない方がマシなのです。
そんな事をしながら、仕事を変えてたどり着いたのが
「言ってくれてありがとう。よく、気が付いたね」
と言ってくれる人達でした。
一瞬、何を言われてるのか分からなくて、ポカンとしました。
が、言わなくて不良を増やすより、言ってくれて不良が少ない方がいいという考えだったようです。
私の失敗も、新人は皆やってしまう失敗で想定内だったらしいです。
失敗が想定内に入ってるなんて、それまでの会社ではなかったので目から鱗が落ちました。
あいさつしない。
……しません。挨拶しろと言われるなら、ビルの屋上から飛び降りろと言われる方がマシです。
挨拶をしなくてもいい職場に辿り着いたときは、とても楽でした。
帰りに一言を言う。
これも、とーーても難しかった。
『言ってから帰って』と言われると、延々と仕事をしているふりをして誰かに「帰らないの?」と言われるまで待ってました。
定時に無言で帰っていい(もしくは、皆定時終わり)職場の方が多かったので、これはあまり悩んだ記憶がない。
とはいえ、いくつかは「言ってから帰る」ところだったので、一緒に定時に帰る人の陰に隠れて小さい声で言ってたかな。
出来る人達は出来ない人達の気持ちが分からないんだと思う。
それは、私も含めてなのだけど……だから、安易に『なんで、出来ないの』と責める前に「どうしたら出来るかな」って考えるようにしたい。
出来ない=やる気がない……となってしまうのがほとんどなのだろうけど……なかなか、それって辛いなぁと改めて思った。
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新幹線で刃物で人を殺した事件と
某ネット小説原作のアニメが製作中止になった件がなんとなく、似てるなと思った。
某ネット小説は差別的表現が多くて声優が降板したらしい。
小説だけではなくて、原作者も過去にツイッターで差別的表現をしていた事も指摘されている。
それに対する感想が
「それくらいで、アニメ化中止なんておかしい」
「当たり前の事(某国差別)を言っただけ」
「誰も傷ついてない」
という声を聞いた。
原作者のツイッター内容は今は置いておくとして、
小説内での表現は微妙で『某国人』への差別なのか?と言われると、ギリギリのラインのような気もする。
ただ、批判の大半はニュースに対する『感想』でしかない。
小説を読んだけれども、そんな事は感じなかった……というのはあまり見かけなかった。
(もちろん、読んだという人もいたけれど)
同時に「そんなこと」と感じる人が多いように思うのは
戦争が遠いからだろうなとも思う。
戦後が続いている日本にいて、戦争を知らない世代が大半の占める国で
今更『過去の戦争』は大昔の出来事でしか、ないのだろうなと。
それはある意味幸せで、ある意味残酷なのかもしれないと思うのです。
以前テレビで若者が戦争の話をする老人に
「嫌なら戦争に行かなければいい」とか
「なぜ、戦争をしてはいけないの?」と
ただ思った事を言っただけというのがすごく印象に残っている。
私たちは知らないのだ。
『自分の意思を持つことを許されない時代』も
『戦争の悲惨さを繰り返す怖さ』も
そして、想像することすらできない世代になっているのだと。
新幹線の事件は衝撃的ではあるけれど、
サカキバラ事件を知ってる身としては、そこまで衝撃的ではないし
ニュースも他の大きな話題に持って行かれてるような気がする。
犯人は「人を殺したかった」と他の事件でも聞いたような供述をしているのだとか。
正直、「人を殺したかった」は聞き飽きた。
通り魔的犯行の犯人がそんな供述をするのは今までにもあった。
なんなら、小学生するそんな事を言って同級生を殺した事件もあった……ような気がする。
でも、ふと立ち止まると似てるのだ。
アニメ中止になった原作小説と現実の殺人事件。
小説は小説で関係ないのは分かっているが、差別発言を平気で垂れ流す小説の主人公は
「自分の力を見せつけるために某国で何千人殺したと書いている」というのを見て
『自分の力を見せつけるために他者を傷つけてもいい』
というようなものが似ているなと思った。
もちろん、それを小説の中に留めるのか、現実でやるのかは大きな違いだ。
それでも、『傷つけた相手の気持ち』が消えているのは、似ているなと思った。
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昔、知人がこんな事を言っていた。
「私は、以前、元カレからレイプまがいの事をされたけど
自分を許すために元カレを許した。
だって、許せないで苦しいのは嫌だから」
彼女は自己啓発系の本を読んでいて、「許しなさい」という言葉を信じていた。
私は彼女の言葉にとても苦しさを感じた。
『痛い苦しい悲しい』
そんな想いがたくさん詰まってるように感じた。
だから思わず
「許せなくてもいいと思う。
憎いなら憎いって、言っていいと思う。だって、元カレはそれだけのことをしたのだから」
と返していた。
それでも彼女はかたくなに『許す』と言い放っていた。
ああ……誰だよ。『自分を許せ』なんて言った奴は
と、どうしようもない気持ちになった。
私も最初は『許す』という言葉が心地よかった。
けれど、この言葉には危険もあった。『自分を許す』というのは簡単だ。
そして、『自分を許すために、他人を許す』という勘違いも起きやすい。
彼女はまさしくその勘違いの真っただ中にいた。
許すべきは自分であって他人ではない。
彼女はその境界線が引けなかった。
誰かを憎む自分すら『誰かを憎んだまま、許す』
……矛盾してると思う。
どうして、誰かを憎む事を許せるのか。
人を憎むことは『悪』で
苦しい事も『悪』で
痛みも『悪』だ。
その『悪』を許すという事は『許すべき対象が存在しない』という事になる。
『許し』は『許されない存在』が存在しなければ、『許し』も存在しない。
人は相反するものをルールにはできない。
特にまじめな人間ほど、そんなルールは認められない。
彼女が陥ったのもそんな矛盾した言葉遊びの渦だったのかもしれない。
生きる事は許される事かと悩むとき、
そこには生きる事への罪悪が存在する。
遊ぶことは許されるかと迷うとき、
そこには遊ぶ事への罪悪が存在する。
『許し』を乞う時、そこには『悪』が存在する。
そのせいなのか、最近の私は
『ジャッジしない』のがいいのではないかと思い始めてる。
個人的に英語嫌いなので、日本語で
『裁かない』だと思ってる。
これもまた、言葉遊びなのでどっちでもいいのだけど。
感覚としては『ジャッジ』のような気がする。
つまり、私は『審判や神』ではない……という意識が大切な気がしている。
……。
『許す』って偉そうなんだよな。
それが自分に対してであっても、自分の中を二分して『お前、許してやる』ってやってるんでしょ?
何様だ……と思う。
許す必要があるものなんて何一つない。
誰も誰かを裁けないし、自分自身さえも裁きの対象ではない。
……でも、人間社会では司法制度があるから、それは社会として必要なのだけど。