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空歌童心

『書く』『考える』『楽しむ』

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女性の成績優秀者の未来は結婚……しかないの?

↓この記事を読んで、ものすごく共感してしまった。

「底辺校」出身の田舎者が、東大に入って絶望した理由


私の事


私の田舎も似たようなものだ。
畑は広がってないが、田んぼは広がっている。
見えるものと言えば、山と田んぼと点在する家々と遠くの海ぐらいである。


そして、女である私にはどんなに成績優秀であっても大学に行く選択肢はなかった。


薄々感じてはいたけれど、学年一位で優秀だと言われていた従姉妹が、
『女の子なんだから、大学なんて行かずに就職でいいわよね』
と就職した事実を知った時、自分の未来も似たようなものだと思った。
同時に勉強をする理由が分からなくなって、勉強する気がなくなった。
もちろん成績は下がったが、どうでもよかった。


従姉妹には上に二人の兄がいて、彼らは大学に行っている。
三人目の従姉妹を大学にやる余裕がなかったのではなく、最初からその予定はなかったらしい。



私の家も似たようなものだ。
それでも、「就職するなら死んでやる!!」と思いたって、私は専門学校進学を選んだ。
親を説得する資料を集めて、親の言うことをすべて聞いた。
親は私が家を出るのは『結婚した時』と思っていたらしく、今でも「あんたは勝手に飛び出して」と言われる。



私には弟がいる。
弟は大学に行った。
従姉妹と同じ高校、同じ学科、同じ学年首位だった。
先生が大学行きを勧めのと、「男なんだから大学ぐらい行きなさい」の親の言葉と
当時運よくお金があった事も相まって、大学行きとなったらしい。

私の時は誰も行けとは言わなかった。
従姉妹の時も誰も行けとは言わなかった。


男と言うだけで、「大学行き」を勧められることに唖然とした。
が、当の弟はそれほど乗り気ではなかったようだ。
実は専門学校を目指していたと後から聞かされた。
弟は私と逆で、男だから目指したい場所へは行けなかったらしい。


インターネットがあったから


女は優秀なら短大へ、そうではないのなら地元で就職して結婚して家を出る。
男は優秀なら大学へ、そうではないのなら地元で就職して結婚して家を継ぐ。
(男が二人以上なら出て行く人間もいる)


田舎では大半はそうなるようなイメージを親は持っている。
ただ、この『優秀なら』も大半は、高校進学時点で未来はほぼ決まってる。
進学校に行くという事は親も「大学進学を勧めている」からだ。
地元の高校に行くということは、「就職・もしくは地元大学(女は短大)のみの進路」ぐらいでほぼ確定している。


私のように唐突に「専門学校(決められた進路以外)に行きたい!!」と言える人間がどれほどいるかは疑問だ。



記事の著者は1987年生まれという事で、私よりも若い。

私がぎりぎりで進路を変えたのは『ネットの影響』が強い。
おそらく、インターネットがなければ、進学はしなかっただろうと思う。


とはいえ、私がインターネットを使える家庭にいたのは偶然に過ぎない。
今のように一人一台スマホではない。携帯電話を持つ高校生も珍しかった。
私自身も進学した時に連絡用にと親に買って貰ったのが初めての携帯電話だった。
「インターネット?根暗だね」と言われても不思議ではない時代である。


父が仕事でパソコンを使い、新しいモノが好きでインターネットを通していたから、
私にとってインターネットが身近だった。


それらはただの偶然なのだ。
従姉妹の家にはインターネットは通ってなかったらしい。


身近に『ない』ものが沢山ある


記事の中に『身近に大学生がいなくてイメージが出来ない』と書いてあった。
確かにその通りだと思った。

大学という存在は知っている。
けれど、「どこにあるの?」……弟が大学進学した時も地図を開いて確認したらしい。


大学生と言う存在は身近に存在しない。
従兄弟が大学に行ったと言う話を聞いたのも、私が成人した後である。

私が行った専門学校に至っては、本当に存在すら知らなかった。
進学情報誌を開いて、そんな存在があると知った時の衝撃は計り知れない。

さらに言えば、今では当たり前にあちこちにあるコンビニも私が小学生の頃はなかった。
親に聞いても、親もよく分からない感じでしか返事が来ない。
小説に当たり前に「コンビに行ってきた」と書いてあっても、それが何なのか想像も出来ないのは悔しかった。


本屋に参考書がない…という記述も見かけたが、私が住んでる町にはすでに
『本屋』がない。


今はインターネットがあるから、そんなことはない……わけではない。



私が高校生の時よりもネットが普及して、誰もがいろんな事を調べられる。
便利ではあるけれど、だから 『誰もが何でも知る事が出来る』わけではない。

人は興味を持つことしか調べないのである。
『興味を持つ』範囲内に、それがなければ調べようとも思わない。
大学なんて身近にない。
専門学校なんて存在も知らない。
それでは興味を持つことすらできないのだ。





記事にはこう書いてある。


教育における地域格差の帰結をあらためて言い換えれば、それは「同じ学力の子供が、田舎に住んでいるという理由だけで、都市に住んでいれば受けられたはずの教育の機会を奪われている」ということである。そして、「知っていたら大学に行っていた」人口は、間違いなく、かなりの数にのぼる。
「底辺校」出身の田舎者が、東大に入って絶望した理由




行っていた人口が増えるかどうかはさておき、目指す人口は増えていたと思う。
そもそも、『(県外の大学を)目指すことさえできない』のが田舎の大学進学だと私は思っている。

もちろん、皆がみんなそうではないとは思うけれど、大半はそうなのだと思う。





おまけ::
私の身近で大学進学した女性は親も大卒者というのが多いのです。
が、金銭的には親はかなり苦労したとも聞きます。…普通に田舎から都会へというだけで交通費はかかりますしね。その他もろもろ、都会の人との費用の差はバカにはなら無いと思うのです。

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